キックボクシング界で【琉球鉄拳】として名を馳せ、
強烈なパンチで、これまでに数々のKO勝利を収めてきた中村広輝選手
2020年に一線を退きましたが、
現在でも仕事の傍ら、後輩の育成や、パーソナルトレーニングで指導を行うなど
キックボクシングに関わっています。
「強くなりたい」そんな思いで赤雲會の門をくぐった学生時代
もともと、サッカー部に所属していた中村選手ですが、
母親に連れられて、赤雲會の門をたたいたのが格闘技を始めたきっかけでした。
当時はK-1ブームということもあり、
「自分もあの舞台で活躍したい」という憧れから
いつの間にかキックボクシングにどっぷり浸かることになりました。
(チャンピオンベルトを肩にかける学生時代の中村選手:写真左から2番目)
しかし、赤雲會に所属してからは、多くの試練が待っていました。
師匠の
「寝技に頼るな!立ち技で強くなれ」という教えもあり、
時には大人との試合を組まれ、破天荒な試合をさせられることもありました。
なかなか所属ジムに新しい練習生が入らないこともあり、
刺激を求めて別のジムへ移籍しようかと考えたこともありました。
しかし、
「沖縄で頑張って、県外で活躍する」という目標を追い続けてきた結果、
沖縄を飛び出して活躍するキックボクサーへと成長しました。
「メンタルが超弱かった」中村選手が格闘技に出会って得たこと
「格闘技をしている」というと、“オラオラしている” とか “やんちゃしている子がするもの”
というイメージを持たれやすいんですけど、
僕はどちらかというとメンタルが弱くて、小学生のころはいじめられる側になりやすいタイプでした。
取材の合間の中村選手の話には、とても驚きました。
体と体のぶつかり合い、パンチやキックを繰り出して戦う格闘技は
打たれても負けない強さがあると思うので
どちらかというと元々気の強い人が競技として選ぶのだと思っていました。
では、メンタルが弱かった中村選手は
どうして今まで格闘技を続けてこられたのか?
そこには、同じように内気な後輩たちへの
中村選手の強い思いがありました。
どんなに体力に自信がなくても、運動が得意じゃなくても、
格闘技ってできるんだよっていうのを見せたい。内気で、メンタルが弱くても、
こうやって格闘技できるんだよっていうのを示したかった。
そして、自分は格闘技を通して「努力する癖」がついた。
それは、格闘技を引退して社会人になった今でも、自分のためになっている。
これまで真剣に格闘技に向き合ってきたからこそ、
得たことがたくさんあると語っていた中村選手。
今後は、指導する立場として格闘技と向き合う人の手助けをしたいと思っています。
「自分の実力を活かせる環境で戦ってほしい」
格闘技の枠にとどまらない中村選手の今後の展望
「最終的には、自分のキックボクシングジムをもつことが夢です」
はにかみながら、今後の展望について話してくれた中村選手。
現在は、教育委員会で働きながら、パーソナルトレーニングの指導を行い、
できるだけ人と関わる機会を増やしていろいろと学んでいます。
また、自身の経験を活かして後輩の育成にも尽力しています。
教育委員会の仕事で、子供たちと関わる機会が増えた中村選手は、
「もっと沖縄の子たちの実力が発揮される環境を作りたい」
と思うようになったそうです。
沖縄の子たちって、ポテンシャルがものすごく高い。
それなのに、自分の力を発揮できる場所を見つけきれなくて、
非行に走ってしまったり、逆にその力を隠してしまったりしている子が結構いるんです。
元々持っている身体能力を発揮できれば、チャンピオンになれるような子がいるのに、
そこに気づけずに過ごしてしまっている子を見て、もったいないと思った。
実際に、多くの子どもたちとふれあうことで、
子どもたち一人ひとりの「悩み」や「苦しんでいること」を知り、
それぞれに寄り添いながら関わっていくことで
子どもたちにとっての居場所づくりにも
一役買いたいという気持ちが芽生えました。
いつか、自分のキックボクシングジムを持ち、
自分がキックボクシングを通して学んだことを継承していきたい。
また、キックボクシングだけでなく
子どもたちが “自分の実力を発揮できる場所” を見つける手助けをしていきたい。
沖縄から飛び出し全国で活躍した琉球鉄拳は
今度は、沖縄の地から全国へはばたく後輩たちの、力強いサポーターになるでしょう。
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